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ベトナム共和国・国会議事録に見るマダム・ニュー 北澤直宏 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

2年に渡るベトナムでの調査を終えて帰国した後、ベトナム共和国(南ベトナム)の歴史を調べ始めた。わざわざ帰国後に開始するとは変な話であるが、煩雑な手続きが要求されるベトナムの図書館で、好んで厄介なテーマに触れることはないと後回しにしていたのである。かつて国交があった日本なら楽だろうと構えていたら、いざ本腰を入れてみると、国家制度や人名のような基礎情報すら乏しいことに愕然させられた。慌てて善後策を講じてみるも、改めてベトナムに渡航したところで確実に閲覧できるとは限らず、そもそも大学院生である自分にはが先立つものがない。特に当ても無いまま何となく行き着いたのが、東南アジア研究所(CSEAS)図書館に所蔵されているベトナム共和国官報(Công Báo Việt Nam Công Hòa)であった。
これは共和国の法令を多岐に渡って収めたもので、日本国内では他に国会図書館のみが所蔵している貴重なコレクションである。所蔵されている年代の関係で国会図書館に頼ることもあるが、CSEAS図書館は原本を手に取り自ら複写できる点など、利用者が資料にアクセスする上で格段に嬉しい設計となっている。何より長期に渡り読む身としては、毎回の閲覧手続きが楽なことも有難い。また、図書館には共和国の行政制度を記した年鑑(Niên Giám Hành Chánh)や地名辞典のような便利本も所蔵されており、これらを広い机に並べることで、何をせずとも気分が高揚してくるのだ。
しかし数十冊ある官報にも目を通し終わると、より深く、共和国の社会的背景まで知りたくなって来る。これが、官報と一緒に所蔵されていながら、その分厚さと文字の多さに萎縮し敬遠してきた国会議事録(Công Báo Việt Nam Công Hòa Ấn Bản Quốc Hội)に手を出してしまう契機となった。しかしいざ読み始めてみると、その外観だけでなく内容にも辟易させられることになる。そもそも、殆どの国会議員の経歴が分からない。加えて議員たちの発言は、本題に入るまでの建前が異様な程に長い。何を決めるにせよ、よく分からない例え話・個人的な体験談等が延々と続き、ようやく述べられる肝心の発言内容は似たようなものである。間もなくうんざりし始め、必然的によく登場する人物、あるいは他とは異なった発言を行なっている者に愛着がわく様になった。Tran Le Xuanは、その中の1人である。
通称マダム・ニュー。義兄である大統領Ngo Dinh Diemが独身であったため、1955年から63年の共和国において,ファースト・レディとしての任を務めた女性である。気性が激しく、1963年には政府に抗議した仏僧による焼身自殺を「バーベキュー」と評したことで知られている。同年11月に生じたクーデタ直前に国外に出ていたため難を逃れるも、その後はベトナムに戻る事なく、2011年にイタリアで客死した。また、国会議員でもあった彼女は、家族法や倫理保護法の制定に関わった人物でもある。Fallが“… the hard fact is that the government has invariably succeeded in ramming through even the most unlikely piece of legislation.”[Fall 1963: 265]と述べているように、これらの法もまた彼女の悪評を高めるものであった点は否めない。しかし一方で、彼女について分かっていることは意外と少ないことも事実である。彼女の母語であるベトナム語を通し、在りし日の姿を読み取ることができる国会議事録は、得難い資料であると言えよう。
家族法は、スアンがこの法の意義を“女性の解放”にあると述べているように、一夫多妻制の禁止や共有財産の扱いなど、女性(妻)の権利向上を目的とした法律である。しかし当時の国会内では経済問題を優先させるべきとの意見も根強く、遠まわしに「今日は縁起が悪いから」と審議の先延しが提案されてさえいる。Xuanはこれを「縁起が悪いなんて非合理的」と切り捨て議論を開始させるが、このような強引さは議論の中で頻繁に見ることができる。例えば、他の議員が家族法の理念に賛意を示す中、Xuanは議員たちが繰り返す「同意するけど…(Tôi đồng ý…nhưng mà…)」という言い回しに苦言を呈す。長々と話す割に始まらない議論に怒りを表明したのだ[Công Báo Việt Nam Công Hòa 1959a: 388; 402]。以上のように議論が終始Xuanのペースで進められていく一方、他の議員からは旧習変更に伴う不安も訴えられる。婚約や離婚に関する規定が設けられていく際に生じた「このような場合はどうするのか…」という質問の数々を、Xuanは「これまで濫用されていないから大丈夫」「国会は立法のみに責を負う」と強引に片付けていく。誠実さに欠けるような気がしないでもないが、いささか退屈しながら議論を追っている一読者として、彼女の発言は実に痛快である。
このような彼女の言動は、議員たちの間に軋轢も引き起こしていた。強引な西洋概念の導入は、「あなたはキリスト教徒だから…」[Công Báo Việt Nam Công Hòa 1959a: 465]とXuanを評する発言が残っているように、近代化なのかキリスト教の押し付けなのかとの判別を困難なものとさせる。そして彼女と他議員達との間に生じていた認識の相違は、「夫が家長」との文言において顕著なものとなる。この語を残すことで女性が虐げられ続けるのではないかと訴えるXuanに対し、当時6名しかいなかった女性議員もが「家庭にもリーダーは必要」との意見から「夫が家長」という表記の存続を支持したのだ。自らの意見が通らず不満を募らせていくXuanの怒りは、その翌日の議論において遂に爆発する。激高した彼女は「時代遅れ」と国会全体を罵り、国会は閉会を余儀なくされる[Công Báo Việt Nam Công Hòa 1959a: 482-483]。
どうやら、政治家としてのXuanは少しばかり直接的な言い方を好み過ぎたようだ。前置きや追従を「余計なもの」と切って捨て、様々な事例を引用する一方でツメが甘く、意見を否定されると激怒しムキになって反論する。このような彼女の性格は、今日でも和を尊び遠まわしな言い方を好むベトナム社会において、さぞ異質であったに違いない。ベトナムの旧習(一夫多妻制や浮気、婚約破棄、共有財産)に一石を投じながらも、その意義が顧みられることのない今日の評価に、彼女の過激な性格が大きく影響していることは想像に難くないのである。
このように、CSEASのコレクションを用いることで、毎回のごとく何かしらの発見を体験することができる。つい本来のテーマから脱線してしまうことも多いが、現地でのフィールドワークに負けず劣らず、日本での図書館通いもなかなかに魅力的なのである。

参考文献
Fall, Bernard. 1963. The Two Viet Nams: A Political and Military Analysis. Praeger.
Việt Nam Công Hòa. 1959a. Công Báo Việt Nam Công Hòa(ベトナム共和国『ベトナム共和国官報』)Sài Gòn: Nhà Tổng Thư Ký Phủ Tổng Thống.
_________________. 1959b. Niên Giám Hành Chánh(ベトナム共和国『行政年鑑』). Học Viện Quốc Gia Hành Chánh.

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Công-báo Việt-Nam Cộng-hòa
— Tòa Tổng thư-ký, Phủ tổng-thống.

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