お知らせ

インドネシア語による現代イスラーム書籍コレクション 見市建(岩手県立大学 総合政策学部准教授)

2001年からジャカルタで行われているイスラーム書籍の見本市「イスラーム・ブックフェア」はすっかり年中行事として定着している。その規模は年々大きくなり、学校行事として訪問する生徒たちや地方からの団体客も後を絶たない。書評会や討論会などのイベント、ベールなどを扱った服飾店、イスラーム銀行やハラール化粧品など企業のブースも盛況である。近年では全国数十の地方都市を巡回するようになった。当初70社だったブックフェアの参加出版社は、2015年には92社にまで増え、愛蔵版の事典類、武装闘争派のイデオロギーから児童書まで多様な書籍が展示販売されている。
 東南アジア研究所図書室のインドネシア・イスラーム・コレクションは、ここ10年あまりの間に流通しているイスラーム関連の書籍を収集したものである。50あまりの出版社、約2000冊の書籍、一部の雑誌を収録している。オランダの王立人類学言語学研究所(KITLV)にある900冊の宗教書(キターブ kitab)コレクションに着想を得て、アラビア文字表記のキターブではなく、ローマ字表記のインドネシア語による書籍(buku)を対象とした。予算の制約もあるので網羅的とまではいかないが、極力幅広く買い集めている。ブックフェアやグラメディアのような大手の全国チェーン、中央ジャカルタのワリソンゴ(Walisongo)書店に代表されるイスラーム専門書店、出版社で直接購入した書籍もある。ほとんどの出版社は直接購入すると割引してくれる。より重要なのは、地方の出版社の一部書籍はブックフェアやフランチャイズ店ではめったに販売していないことである。
 コレクションに収録されている出版社の設立年代や都市名を踏まえて、出版動向の推移を簡単に振り返ってみよう。イスラーム書籍(buku Islam)に先鞭をつけたのは1948年にバンドゥンで設立されたマアリフ(Alma’arif)、続くディポネゴロ(Diponegoro)である。キターブの出版社として有名ないずれも中ジャワ北岸地域のカルヤ・トハ・プトラ(Karya Toha Putraスマラン)、ムナラ・クドゥス(Menara Kudusクドゥス)は、キターブをローマ字表記のインドネシア語でも発行した。これら出版社はインドネシア語訳が付されたコーランや祈祷用にその一節が抜粋された小冊子の出版に始まり、イスラームの標準的な解釈を一般に広める役割を果たした。
 イスラーム書籍市場が急速に拡大したのは1980年代である。やはりバンドゥンで、エリート校のバンドゥン工科大学の卒業生らによって二つの出版社プスタカ(Pustaka)とミザン(Mizan)が設立された。両社は学生を中心とした新興イスラーム運動の理想主義を反映し、多様な思想書や研究書をアラビア語および英語から翻訳出版した。フランスで教育を受けたイラン革命のイデオローグであるアリー・シャリアーティー(Ali Shariati)、エジプトのムスリム同胞団の急進派であるサイイド・クトゥブ(Sayyid Qutb)、西欧のポストモダニズムの影響を受けたアルジェリア出身のムハマド・アルクーン(Mohammed Arkoun)、その他英語によるイスラームの研究書など、幅広い著作を含んでいた。しかし、出版市場が拡大するにつれ、イデオロギー的な争いも顕在化するようになる。メディア・ダアワ(Media Da’wah ジャカルタ)は、1980年代にサウジアラビアからの宣教資金の窓口となったインドネシア・イスラーム宣教協会(DDII)の出版部であり、シーア派やインドネシア国内の穏健派を攻撃する雑誌や書籍を出版した。近年では後述するサラフィー主義やジハード主義の出版物やインターネットサイトで、シーア派に関する著作を発行する出版社(ミザンや、コレクションに含まれるフダ[Al-Huda]など)が名指しで批判されている。
 1998年の民主化に前後して台頭した、現在の福祉正義党の党員が経営するシャアミル(Syaamilバンドゥン)、エラ・インターメディア(Era Intermediaソロ)、ロバンニ・プレス(Robanni Pressジャカルタ)などは、同党がモデルとするムスリム同胞団のイデオローグたちの翻訳書を中心に発行してきたが、近年では党員のエッセイなども増えている。スンニ派のもっとも厳格にイスラーム法を解釈する一派であるサラフィー主義では、いずれも中ジャワのソロ周辺を拠点とするコワム(Al-Qowam)、ティビヤン(At-Tibyan)、武装闘争を重視するジハード主義系ではジャジーラ(Jazeera)、アクワム(Aqwam)などがある。ジョグジャカルタのラフマ(Ar-Rahmah)は2002年のバリ島テロ事件の実行犯3人の手記を処刑直後に出版して話題になったが、現在ではもっぱらニュース・サイトとして知られている。ジャカルタにあるHITプレスはカリフ制樹立を目指す国際組織である解放党(Hizb ut-Tahrir)の出版部である。
 1980年代後半は、イスラームの政治イデオロギーに限らず、一般書の市場が大きく拡大した時期であった。イスラーム書籍においても、拡大を続ける都市中間層、なかでも女性が書籍の消費者として台頭した。社会における成功の秘訣、家庭生活、恋愛の仕方まで、現代社会に見合った宗教解釈が参照された。1986年に設立されたグマ・インサニ・プレス(Gema Insani Pressジャカルタ)は、こうしたニーズを掴み、幅広いラインナップで一躍大手に成長した。前述のミザンやシャアミルは比較的上層向けのビジネス書の類いや若年女性向けの小説、児童書なども扱った。上記のイデオロギー色の強い各社も、それぞれの宗教解釈に沿った社会や家庭生活の指針を内容とする書籍を出版している。ミザンは一般書も多数発行し、映画製作にも乗り出しているが、本コレクションではイスラームをテーマとした書籍のみを収録している。逆に、メディア複合体のコンパス・グラメディア・グループからもイスラーム関連の書籍が出されているが、本コレクションには含めていない。なお、本コレクションは他の書架と違って出版社別に配架されている。出版社の盛衰や同一出版社内のレパートリーから、この40年あまりのインドネシアのイスラーム運動やその社会的な位置づけの推移を概観することができる。ぜひ、直接書架を訪れて書籍を手に取って欲しい。